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	<title>仏教用語あれこれ</title>
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	<description>仏教用語について調べています</description>
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		<title>【仏教用語】 ＜四苦八苦＞⑫</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞⑫

　仏教で苦しみを八つに分けて教えられているその七つめの「求不得苦」とは、求めるものが得られない苦しみのことです。

　私たちは日々、いろいろなものを求めています。得たいと思うものを得ようと、多くの人は努力します。努力を続けることは楽しいことでもありますが、求める状態そのものが、苦しみだ、ともいえるでしょう。

　しかも、そのように血のにじむ苦労をして、たとえ望むものを手にしても、実は、それが百パーセント報われるとは限りません。
　世の中には、死ぬほど焦がれて手にした幸せにも、ちっとも満足できなかった、という人がゴマンといるのです。

　例えば、古くは豊臣秀吉などは、水呑み百姓から身を起して、天下の対抗にまで登りつめた日本史上最高の出世頭ですが、その辞世といわれる歌に、

露と落ち
露と消えにし　わが身かな
難波のことも
夢のまた夢

と詠んでいることは有名です。
　快活な性格で上へ上へ、と駆け上がった彼にして、生涯に得たものに満足がなかったことを吐露して死を迎えているのです。

　求めて得られぬ真の満足、その実態をしばらく見てみましょう。
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		<title>【仏教用語】 ＜四苦八苦＞⑪</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞⑪

　仏教で教えられる八つの苦しみ「四苦八苦」の７番目は「求不得苦」といい、「求めるものが得られぬ苦しみ」をいいます。

　私たちは日々、いろいろなものを求めて生きています。お金、財産、地位、名誉、恋人、家族、仕事、趣味、健康……。より頑張って生きるための動機付けとして、これらは非常に分かりやすく機能します。

　例えば金があれば、欲しいものが何でも買える。多くの事柄について、これは真理といえますから、皆一生懸命働くのでしょう。中には働きたくないが金は欲しい、と一攫千金を狙ってギャンブルに手を出したり、中には不正に金を得ようと、犯罪に手を染める人もあります。

　いずれも、欲しいと思っている金を得るための言動です。ところが、これらを求める、我々の思いはどんなものでしょう。実は、本当に欲しいのは金ではなく、金によって得られると思われる満足が欲しいのではないでしょうか。だから、
「そんなもので満足できない」
と思う人は、生活に必要な分だけ稼いで、あとは別の形で満足を得ようと努めます。

　大事なのはこの「満足」ということです。
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		<title>【仏教用語】 ＜四苦八苦＞⑩</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞⑩

　仏教で教えられる八つの苦しみ「四苦八苦」の６番目「怨憎会苦」は、「怨み、憎むべきものと会わねばならぬ苦しみ」をいいます。

　怨み、憎むべきものとして、先回は人で書きましたが、それだけではありません。
　人間長く生きれば年を取り、直面するのが「老い」です。最近は「アンチ・エイジング」とよくいわれますが、多くは若さを求め、老いを嫌う人が多いでしょう。
　老いによって、それまで支障のなかった肉体にもガタが来、若い時は心配もしなかったケガや病気、種々の危険に身をさらすことにもなるでしょう。精神的にも疲れや衰えが訪れます。時には認知症の症状で、家族の顔さえ分からなくなるかもしれません。

　たとえ、まだ若いといっても、病が襲ってくることもあるでしょう。病気も人が忌み嫌うものの代表です。ほかにも戦争や暴力、事故や不祥事など、ふだん人が憎み、遠ざけようとするものはいろいろとありますが、その根底にあるのは死、つまり命の危険でしょう。

　ところが人は、そう遠くない未来に、必ず死んでいかねばなりません。最も忌み嫌う死と、いずれ必ず会わねばならぬ存在が人間なのですね。
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		<title>【仏教用語】 ＜四苦八苦＞⑨</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞⑨

仏教で、苦しみを八つに分けて「四苦八苦」と教えられます。その６番目が「怨憎会苦」です。「怨み、憎むべきものと会わねばならぬ苦しみ」をいいます。

　人生には、さまざまな苦しみがありますね。煩わしい人間関係やつらい勉強、仕事、さまざまな別れや喪失、病や老いなど。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」
と言ったのは作家の林文子さんですが、つらい、苦しいことと出会っていかねばならないのが、私たちの人生といえないでしょうか。

　そういう苦しみを「怨憎会苦」といわれています。

　かわいがって育てた娘はよそへ嫁がせ、そりの合わぬ他家の娘と同じ屋根の下で暮らさねばならぬ。昨今は同居こそ少なくなりましたが、嫁と姑の関係は、昔も今も変わらぬ人間関係の一つでしょう。学校に通えば学校に、職場に行けば職場に、たいてい何人かは気の合わぬ相手があるもの。日々付きまとう人間関係からして、「怨憎会苦」は避けられぬ苦しみだと知らされるではありませんか。しかもそれは、古今東西変わらぬ人間の姿なのです。
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		<title>【仏教用語】 ＜四苦八苦＞⑧</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞⑧

私たちは最期、死んでいく時には、大事なもの一切に別れを告げて、たった一人、丸裸で死んでいかねばならない、と真宗８代目の蓮如上人はこう言われています。

「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ、三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」
（蓮如上人）

病にかかれば妻子が介抱してくれよう。財産さえあれば、衣食住の心配は要らぬだろうと、日頃、あて力にしている妻子や財宝も、いざ死ぬときには何ひとつ頼りになるものはない。一切の装飾は剥ぎ取られ、独り行く死出の旅路は丸裸、一体、どこへゆくのだろうか。

こんな未来が待っている私たちの人生は、別れに彩られているといっていいでしょう。そういう身近な苦しみから、苦悩の根元に目を向けさせ、解決に導かれているのが真実の仏法です。
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		<title>【仏教用語】 ＜四苦八苦＞⑦</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞⑦

仏教で、苦しみを八つに分けて教えられた「四苦八苦」の５番目「愛別離苦」についてです。

愛するものと別れる苦しみです。
生きている間は、そういう悲劇に直面することがたとえなくても、私たちの百パーセント確実な未来である「死」によって、必ず私たちの身の上に「愛別離苦」は訪れます。

しかも皮肉なことに、愛する度合いが強いほど、分かれる苦しみが大きいのです。
生涯頑張って、必死に手に入れてきたものと最期、生木引き裂くように別れさせられるのが、私たちの臨終の姿です。

「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ、三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」
（蓮如上人）

死出の旅路は丸裸、と教えられた蓮如上人のお言葉です。
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		<link>http://www.fccdocelp.org/?p=88</link>
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		<title>【仏教用語】 ＜四苦八苦＞⑥</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞⑥

仏教で、苦しみを八つに分けて教えられる「四苦八苦」の５番目「愛別離苦」について、今回は書きましょう。
これは、愛するものと別離する苦しみです。

寒い冬、いつまでも暖かい布団に寝ておりたいのに、起きて仕事や学校に行かねばなりません。大好きな食べ物も、食べてしまえばなくなり、楽しみにしていたテレビ番組、音楽、映画も時間が来れば終わります。記録して何度も見ても、やがて飽きる時が来ます。

若さを誇っていても、いずれ年を取る。給料をもらって一時はホッとしても、「お足」で、アッという間に懐はさびしくなる。
かわいがっていたペットが死んでしまう。大事にしていた時計が壊れる。思い出深い学び舎から卒業する。愛する伴侶や恋人、家族、友人を不慮の事故や病気で亡くす人。死に別れでなくても、誤解や行き違いで、失恋、悲恋、破局の憂き目を見ることもあります。

古くから「会者定離」「会うは別れのはじめ」とも言うように、どんな相手やものとも、いずれ別れが待っている。

　仮に、生きている間は恵まれても、死んでいく時は、大事にしてきた肉体も、苦労して身につけた技術や能力、経験も、一切を焼いていかねばならないのです。
私たちが大なり小なり、必ず出くわす種々の悲しみは、多くこの愛別離苦でしょう。
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		<link>http://www.fccdocelp.org/?p=86</link>
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	<item>
		<title>【仏教用語】＜四苦八苦＞⑤</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞⑤

私たちの苦しみを八つに分けて、仏教で教えられている「四苦八苦」の４番目、「死苦」について書いています。

私たちは生まれてこのかた、死の苦しみに翻弄されながら過ごしていると言ってもいい、と前回、言いました。

老いや病も、恐ろしいと思うのは、それが潜在的に死とつながっているからでしょう。ほかにも事故や不祥事、戦争、テロや殺人など、私たちが怖れるものの根底に、必ず死の影が見え隠れしているのです。

だれもが〝人命こそが尊い〟と思っています。それが脅かされ、失われるのが死ですから、だれもが死を怖れているといえるでしょう。
先に挙げたようなテロや戦争、悲惨な事故の撲滅を誓うのも、ひいては理不尽に命が奪われることがないように、との願いからでしょう。しかし、その目先にとらわれるあまり、大事な本質を見失ってはならないでしょう。

昔、新人猟師が初のイノシシ猟に出る前、ガタガタ震えていると、見かねた先輩が一言、
「心配するな。山より大きなイノシシは出ぬ」
それを聞いた新人は、ようやく肝が据わったという。

人生の最大の問題が見極められれば、あとは何が来ようと腹を据えて挑んでいけるでしょう。さまざまな人が、各々取り組む社会問題なども大事ですが、人生最大の難事は、この死の問題の解決に違いありません。
そこでまず、死とは何か、その苦しみとはどんなものか、を問わなくてはなりません。
人生の苦しみを知ろうとするのも、つまるところ、この死の問題に目を向けるためといえるでしょう。

この大事な問題を、親鸞会で詳しく学んでいきたいと思いませんか。
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		<link>http://www.fccdocelp.org/?p=83</link>
			</item>
	<item>
		<title>【仏教用語】＜四苦八苦＞④</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞④

私たちの苦しみを八つに分けて、仏教は教えています。その「四苦八苦」の４番目は「死苦」です。

文字通り「死の苦しみ」。よく「死ぬほど苦しい」と例えますが、おおよそ生きている人間が、最も恐れ、忌み嫌っているのが死ではないでしょうか。
死の苦しみ、と聞くと、ふつうは死ぬ瞬間、あるいはその周辺の苦しみだけを言うように思います。しかし実は、私たちは生まれてこのかた、死の苦しみに翻弄されながら過ごしていると言ってもいいのではないでしょうか。

例えばこれまで書いてきた老苦にしても、なぜ皆イヤがるのでしょう。体力や知力の衰えは、大変な衝撃を私たちに与えます。たいていの人は、２０代も半ばを過ぎるあたりから、徐々に衰えに入っていき、それが４０、５０、６０と年齢を重ねていくにしたがって、弱り方が激しくなっていきます。その先に死があるからです。

病苦も同様。軽い風邪やちょっとした発熱なら、だれも恐ろしいと思わないでしょう。ところが死に直結する病気となれば、たちまち顔色を変えて予防にコレ努めます。
昨秋からの新型インフルエンザの大騒動がそれを物語っているでしょう。幸い、重症化する事例は少ないとみるや、すぐに関心は薄れてしまったのも、その明証でしょう。

このような事例はほかにもありそうです。
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		<link>http://www.fccdocelp.org/?p=77</link>
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		<title>【仏教用語】 ＜四苦八苦＞③</title>
		<description>【仏教用語】
＜四苦八苦＞③

仏教で、私たちの苦しみを八つに分けて教えられた四苦八苦について解説しています。
３番目は「病苦」です。

昨今は、世をあげての健康ブーム。
「体にいい」
「脳を活性化」
などと聞けば、食品や日用品、おもちゃに至るまで、どんなものでも飛びつきます。

それほど健康を望み、病を厭う私たち。昨今の新型インフルの流行でも、
「自分もかかるのでは？」
と、だれもが気をもんだことでしょう。

感冒、歯痛、腰痛、内臓疾患、激しい痛みを伴うもの、ジワジワと治りにくいもの、と病状はさまざまでも、当事者には〝自分の疾病こそ最も苦しい〟と思うもの。自己申告だけでは甲乙つけがたいので、「病」は「やまいだれ」に「丙」と書くのだそうです。

では、なぜかくも、私たちは病気を忌み嫌うのでしょう。古来、
「病は死の便り」
といい、死の兆しとされたから。病を嫌うのは、死を遠ざけようとする心があるからでしょう。
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