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【仏教用語?】

  • 6月 30, 2009 3:24 PM

【仏教用語?】
<ありがとう>
日常的に使うことの多い「ありがとう」という言葉、幼い子供に母親は大切な言葉だからと常にどこでも「ありがとう」と子供に言うようにとしつけることが多いです。
では、この「ありがとう」とはどのような意味があるのでしょうか。
「ありがとう」とは、“有り難う”と書きます。
これは私達が人間に生まれることは大変ありがたい、稀有なことだから、生まれたことを喜ばねばならないという、お釈迦様の言葉から出た言葉だそうです。
やはり「ありがとう」は仏教用語なんですね。

それがなぜ感謝の言葉に転じたかというと、欲で一杯の私たち人間は、他人ののために物をあげたり、親切をしたりすることは大変難しいこと。
それを行うことはめったにない有り難いことだからなのだとか。

些細なことにも感謝の意を表すことの出来る人は素晴らしいです。

前回お話しした親鸞会の冊子をくれた友人は、友人の私が言うのもなんですが、かなり「出来た」人間です。
和顔愛語を常に実行し、感謝の心を忘れない人で、同級生でありながら、尊敬できる人間です。

彼は人を疑うことを知らなかったがゆえに一度痛い裏切りを経験したことがあります。
精神的にも追い詰められ、母親と一緒にすがる思いで親鸞会で話を聞き、そこで自分のあるべき姿を見出すことが出来たのだとか。
彼は裏切った人間をずっと恨んでいたそうです。

しかし、世の中は因果応報
「蒔かぬ種は生えないし、刈り取らねばならぬすべてのものは自分の蒔いた種からでたものばかり」です。
たとえ記憶になかったとしても、自分の悪い行い(それは身体の行いに限らず、口で言ったことや、心で思ったことも含まれます)が悪い結果(苦しい結果・辛い結果)として返ってきたものなのです。
つい苦しいことがあると他人のせいにし、どうして自分だけが、と思いがちですが、因果の道理を知ることにより、彼は真正面から真の自分と向き合えるようになり、それにより彼は反省と向上を繰り返せるようになったのだそうです。

きっかけは大切です。
彼は親鸞会の教えを知るというきっかけによって人生のどん底から立ち直ることができました。

彼を立ち直らせるきっかけを作ってくれた親鸞会に感謝します。

【仏教用語】<慈悲><菩薩>と私の気持ち

  • 6月 22, 2009 2:36 PM

【仏教用語】
<慈悲>
仏教では慈悲について次のように教えられています。
慈・・・苦を抜く
悲・・・楽を与える

つまり子持ちの方を例えて言うならば、
病気などで苦しんでいる子供を病院へ連れて行って早く苦しみを抜いてやりたいという心は親の「慈」の心。
子供を喜ばせるために一緒に遊んでやったり、美味しいおやつを与えたいという思いを親の「悲」の心、というのです。

「悲」とはカナシイというイメージがつきものですが、仏教用語では全く違う用語としてにとらえられているようですね。

【仏教用語】
<菩薩>
正式名称を菩提薩埵というそうです。
「菩提」とは、真実の幸福
「薩埵」とは、求める人という意味があり、本当の幸せになろうと真実の仏教を求めている人はみな菩薩になるのだとか。

ということは、あなたも真実の仏教を求めれば菩薩になれるのです。

本当の幸せになろうと真実の仏教を求め、みんなが幸せな気持ちになっていけたらいいなということで、私が最近心がけていることは和顔愛語です。
和顔愛語とは、穏やかな表情や言葉、親しみやすいふるまいを行うことを言います。

私が穏やかな態度をとっていれば、周囲も嫌な気分になることはまずありません。
また、和顔愛語でいると、その人のいる環境は良くなっていくと日本各地を回っている売薬さんはおっしゃっています。
確かに常に眉間にしわを寄せている家人の環境がよいように反映していくとは思えません。
和顔愛語でいれば、それだけで周りの人も自分に穏やかに振る舞ってくれるようになるような気がしますね。

今日は何とも気分のいい日です。

こんな日は、先日親鸞会の友人からもらった「とどろき」という本をじっくりと読みたくなってきます。

地獄極楽

  • 6月 10, 2009 1:56 PM

私が幼少期に教育テレビか何かで芥川龍之介の蜘蛛の糸を見た時、ものすごく衝撃を受けた覚えがあります。
生々しい地地獄極楽の対比。
幼いだけに地獄を夢で何回も見てしまい、しばらく夜中に何度も起きたものです。

この話の中に出てくるカンダタは生前一度だけ蜘蛛を助けたことがあることを知られたお釈迦様が地獄のカンダタに極楽から一本の蜘蛛の糸を落とされます。
極楽から伸びてきた蜘蛛の糸をよじ登っていくカンダタ。その後を追って地獄の住人が上ってきます。
その時カンダタは「このままでは蜘蛛の糸が切れてしまう」と思い、糸を多くゆすって追随する者たちを血の池地獄へ落としました。
ざまあみろとカンダタが言った時、カンダタの手元から糸がプツリと切れてしまいます。

自分のことしか考えないとどうなるか・・・・考えさせられる物語です。
幼い自分にはこの物語が何を言いたかったのかが理解できなかったのですが、法話などではどんな話にも必ず分かりやすく解釈をつけてくださいます。
だから私は法話が大好きで、できるだけ話を聞かせていただくようにしています。

【仏教用語】
<自利利他>
相手を生かし、自分も生きる。
共に幸せになれるのが自利利他の仏教。

逆に相手の対場を考えず、自分のことばかりを主張することを仏教用語では<我利我利>といいます。
仏教用語の中で我利我利は、幸せになれない人だと教えられています。

これは子供を教育していく上でもとても大切な言葉ですね。
この仏教用語自身をまだ難しくて覚えることが難しいような幼少期でも、仏教用語の意味を教えてあげることはその子供の成長にとってとても大切ないことではないでしょうか。

たとえば、バスに乗っていた時、急ブレーキがかかり、子供がバスの窓枠に頭をぶつけたとき、お母さんが、子供によしよしと頭をなでてやり、大事に至らず、子供が泣きやんだ頃。
「痛かったでしょう。かわいそうに。お母さんがなでててあげるね。でも、この窓もいたかったのよ。だからお母さんと一緒に窓をなでてあげようね。」これが自利他利の教えにつながっているのです。
これ対し、「痛かったでしょう。じゃあボクに痛い思いをさせたこの窓をたたいてやりましょう」となると、我利我利につながって行ってしまうのでしょうね。